会社勤めを辞めて起業しようと考える時、さまざまなステップがありますよね。
私の場合、しばらくの間、料亭を営む岐阜の実家で“潜伏”していました(笑)。
後の仕事を大きく膨らませることにつながるこの潜伏時代は、ある日、突然届いた「父からの応援要請」で始まりました。
実家からの応援要請
短大の服飾科を卒業した後、20代は名古屋でアパレルの仕事をしていました。
そんなある日、店主であり、板前として店を守っていた父から「戻ってきてくれ」 と応援要請が届きました。
女将として店を切り盛りしていた母を助けてやって欲しいというのです。

父が開業し、少しずつ大きくしてきたお店は、その頃、板前さんを3、4人抱え、中居さんやパートの方々もいて、週末には地域の方々がお祝い事や結納などにもご利用いただくほか、仕出しも請け負っていました。
だから、母が動けない事から生じる痛手は重々わかりました。
そこで私は好きなアパレルの仕事に一旦区切りをつけ、渋々、実家に戻ることに決めました。

着物を着て中居さんをお手伝いなど“ミニミニ女将”のような仕事をしたり、アパレル時代に身につけたスキルを活かして販促物を作ったり、お店の中の季節ごとに変わる小さいギャラリーに飾る美濃焼人形や小物を仕入れては販売したり…。
それでもモヤモヤ・・・
とはいえ、長く実家にいるつもりはなく、「 自分の仕事 」を模索する気持ちがいつもモヤモヤしていました。
両親が料亭を営む環境で育ったせいか、食べ物や料理に対する関心は高く、この頃、「フードコーディネーター」という仕事の存在を知りました。

ちょうど世に出始めたその仕事への関心が高まり、ネットで調べたところ、東京に1991年初開講の日本フードコーディネーター協会認定校があると知り、いても立ってもいられず意気込んで見学に行きました。
でも、その学園は私がイメージしていた感じと少し違っていました。
「わざわざ東京に行かなくても、通える名古屋でもできることがある。」

そう思い直し、せっかく実家にいるのだから、その間に自分に足りないものを埋めようと考え、実家で仕事続けながら、名古屋の調理師学校に通うことにしたのです。
28歳からの1年間、平日は学校に通い、週末は忙しい実家を手伝いながら、まずは調理師免許を取得しました。
でも、潜伏期間は長く、モヤモヤと模索は、まだまだ続いたのです。
(次回に続く)